標本の詳細サイト
哺乳類(綱)・束柱類(目)
Desmostylus hesperus
デスモスチルス ヘスペルス
     



 標本No.98121104 咬柱配置図
 この標本は、デスモスチルス ヘスペルスの上顎右側の第1大臼歯と思われる。
 アメリカ、カリフォルニア州、Fresno County、Coalinga、から産出した標本で、貝殻片化石
 が密集した砂岩の母岩に含まれている。
 新生代新第三紀中新世に堆積した、「Temblor Formation」という地層から産出した。
 1998年12月に第7回国際化石鉱物ショー(池袋ショー)で、(株)ミュージアムインポートから
 購入した標本である。
  標本の大きさは、
 歯冠長=55.5mm、歯冠幅=38.1mm、歯冠高=23.6mm、歯根末端からの高さ=44.8mm、 
 歯根との境界が不明瞭で、歯冠高は不正確である。
 歯冠高が通常の半分以下になっていて、咬耗がかなり進んでいる。特に近心舌側端と遠心端が
 強く削られていることから、大人の第1大臼歯の可能性が高い。
撮影面
歯冠表面 歯冠舌側面 歯冠近心(前)面 歯冠遠心(後)面 歯根底面
所蔵画像
詳細
左上の咬柱、前タロン
(anterior talon)である。
大きさと咬耗の進み具合から
第1大臼歯と判断した。
左端手前の咬柱が、次錐
(hypocone)。中央手前の大き
い咬柱が原錐(protocone)で
ある。
右端手前から奥へ順に咬柱が、
前タロン、旁錐(paracone)、
後錐(metacone)と並ぶ。
最前列の3つの咬柱は、前タロ
ン(anterior talon)である。
手前の崩れた2つの咬柱が、
後タロン(posterior talon)
である。右端の大きい咬柱が
手前から次錐(hypocone)、原
錐(protocone)である。
貝殻片化石が密集した砂岩に
被われ、歯根の形がよくわか
らないが、丸い「E」のラベルの
すぐ右に、丸く小さな歯根の
末端が見られ、ラベル左に大
きな楕円の歯根輪郭が見える。

 デスモスチルスの発見と特徴
 1876年、アメリカ、カリフォルニア州で、はじめてデスモスチルスの化石が発見された。発見
 された臼歯の形は、のりまきを束ねたような形であった。この形にちなんで、ギリシャ語の
 「デスモス」(束ねた)、「スチロス」(柱)を組み合わせた「デスモスチルス」と命名された。
 臼歯の形から、海牛類の一種と考えられた。
 日本では、1898年、岐阜県瑞浪市戸狩から、初めて頭骨化石が発見された。このときは、長鼻
 類(ゾウ類)の原始的なものと考えていた。1933年、サハリンの気屯で、全身骨格が発見され、
 デスモスチルス目として独立した生物群となった。
 デスモスチルスとパレオパラドキシアの臼歯には大きな違いがある。
 デスモスチルスは、歯冠が高く、歯根は短い、多角形の咬柱が密に並び、歯帯が無く、交換様
 式は、一生歯性、水平交換である。パレオパラドキシアは、歯冠が低く、歯根が長い、円形の
 咬柱がまばらに並び、歯帯が顕著、交換様式は、二生歯性、垂直交換である。
 アメリカ、カリフォルニア州、Coalinga、から産出した標本は、膨大な数であり、最も販売さ
 れた束柱類化石である。デスモスチルスの産出数では、世界一である。
 現在は、採掘地は保護され、一般の採掘者は採掘できない状況である。
 近くのシャークトゥースヒルと呼ばれるサメの歯化石が多産する地域は、個人所有の土地で、
 一般の採掘者は、予約をして、有料で採掘ができる。表面採集が40ドル、掘削採集が70ドルと
 のこと。
 どちらも、新生代新第三紀中新世に堆積した、「Temblor Formation」という地層である。

 デスモスチルスの全身骨格
大阪の海遊館で企画展「デスモスチルスのいた地球」
泳ぐ姿勢に復元。
歌登ふるさと館、歌登産のデスモスチルスを復元。
歩く姿。
 デスモスチルスの全身骨格は、1933年にサハリンの気屯で、1971年に北海道枝幸町歌登
 で、1977年に北海道枝幸町歌登の同じ場所で、別個体の骨が発見されている。世界で発見
 されている全身骨格は、2体で、全て日本にある。
 部分的なデスモスチルスの化石は、日本では50ヶ所以上の産地から発見されているが、そ
 の半分以上は、北海道で発見され、四国や九州からは出ていない。今のところ南限は岐阜と
 島根を結ぶ線あたりである。
 アメリカのオレゴン州からは、デスモスチルスの頭骨化石が発見されている。全身骨格は、
 発見されていない。
 肘や膝などの関節の状態から、ワニやカエルのようにガニマタの脚の形をしていたと考えら
 れている。
 歌登第1標本の骨格は、体長1.7m、体重を290kgと推定されている子供の化石である。
 サハリンの気屯標本は、体長2.7m、体重1200kgと推定されている大人の化石である。
 デスモスチルスの部分的な化石の中にはもっと大きいと考えられるものがあり、歌登第8
 標本の右上腕骨からの最大の体長は、3.87m、体重、3500kgもあったと推定されている。
 ガニマタの脚では、体重を支えきれないと言われ、陸上を自由に歩くという状態ではない
 と考えられている。海岸の波打ち際で、波に負けないよう、踏ん張るような状況だったと
 思われる。デスモスチルスの足は、4本の指が大きく開いて地に付く面積が広くなってお
 り、下が軟らかい砂地でも安定する。
 

 デスモスチルスの生体復元
デスモスチルスの復元模型、
海底を這うように泳ぐ。海底の餌を
砂ごと吸い込み、平らな臼歯ですり
つぶして食べる。徳川広和氏制作。
北海道 沼田町化石館に展示
背景のデスモスチルスの復元図、
泳ぐ姿。右手前復元骨格、歩く姿。
左手前復元骨格、泳ぐ姿。
「オホーツクミュージアムえさし」
に展示
デスモスチルスの復元模型、
泳ぐ姿に復元、後ろ足が蛙のように
特徴的である。
「山本生物模型」が制作、甲能直樹
氏監修、瑞浪市化石博物館に展示
 デスモスチルスは、約2000万年前頃出現し、約1200万年前頃に絶滅している。当時は、
 サハリンまで多島海化した時代で、海岸が多く、住める場所がたくさんあったと考えら
 れる。
 体の構造上、遠くまで陸上を移動できないし、外洋を遠くまで泳ぐこともできなかったと
 考えられる。よって、近い島から島へ移動しながら、生息域を広げたが、マングローブが
 生息するような暖かい海に限られていたと考えられる。約1400万年前頃から、寒冷化が
 進み、暖海性の食物の不足や、体が冷水に適応できなかったことにより絶滅に至ったと想
 像される。


 デスモスチルスの臼歯
  デスモスチルスの歯の部位を明らかにするため、「デスモスチルスの歯の配列と咬柱の配置」
 図を作成した。オリジナルなので、間違いがあるかもしれません。
 下の図は、
コピー・転載等を禁止します。
 もし、ご利用になりたい場合は、メール等でご照会ください。
 デスモスチルスの上顎の歯の配列と咬柱の配置

 デスモスチルスの下顎の歯の配列と咬柱の配置


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