標本の詳細サイト
哺乳類(綱)・束柱類(目)
Paleoparadoxia tabatai
パレオパラドキシア タバタイ
     




 標本No.75031101
咬柱配置図
  この標本は、パレオパラドキシアの上顎左側の第3大臼歯と思われる。
  1975年3月に埼玉県東松山市葛袋で、野村氏によって、最初に発見された第一標本である。
  上段の画像は、再制作されたレプリカである。下段の画像は、最初に制作されたレプリカ
  を撮影したものである。
  標本そのものは、研究のため「横浜国立大学」に保管(貸し出し)されているとのこと。
  標本の大きさは、歯冠長=29.4mm、歯冠幅=22.5mm、歯冠高=18.4mm、歯根と
  の境界が不明瞭で、高さは不正確である。
撮影面
歯冠表面 歯冠舌側面 歯冠頬(唇)側面 歯冠近心(前)面 歯冠遠心(後)面
所蔵画像
発表画像
詳細
右下の咬柱、後錐(
metacone)に咬耗が
なく、丸い。大きさ
とこの点から第3大
臼歯と判断した。
手前中央の咬柱が、
原錐(protocone)。
右端の一段低い咬柱
が次錐(hypocone)で
ある。
右端手前の高い咬柱
が旁錐(paracone)
である。中央の奥の
一番高い咬柱が原錐
(protocone)である。
左手前の低い咬柱が
前タロン(anterior ta-
lon)である。左端奥
の高い咬柱が旁錐(
paracone)である。
左端手前の咬柱が次
錐(hypocone)であ
る。右手前の咬柱が
後錐(metacone)で
ある。

 東松山市葛袋は、パレオパラドキシアの歯の産出数、世界一!
  東松山市葛袋では、パレオパラドキシア等、束柱類の歯の標本の産出数が、2023年7月
  現在で、デスモスチルスの歯、3点、パレオパラドキシアの歯、35点である。
  パレオパラドキシアの歯の一ヶ所での産出数では、世界一である。
  現在も、「
東松山市化石と自然の体験館」で、一般の体験者によって時々発見
  されている。体験館は、2016年4月1日にオープンしてから、今年8年目となる。オープ 
  ンしてから産出したパレオパラドキシアの歯は、20点である。
  上の、「東松山市化石と自然の体験館」の文字をクリックすると、体験館のホームページ 
  にリンクします。

 東松山市化石と自然の体験館での発掘体験
東松山市化石と自然の体験館
保管してある神戸礫岩層を削ったもの フルイによる体験発掘 礫岩を割って発掘

 東松山葛袋の神戸礫岩層
 東松山市葛袋には、かつて、基底礫岩層の「神戸層(ごうどそう)」が露出していた。
 神戸層は、都幾川層群の最下部で、神戸礫岩層とも呼ばれる。
 この神戸礫岩層と上位の根岸砂岩層からは、多量の化石が産出している。
 特にサメの歯の化石が多量に産出している。
 現在は、産業団地の調整池となって、発掘は全くできない。しかし、調整池の掘削の時に、
 神戸礫岩層を削ったものが、東松山市化石と自然の体験館に保管してある。一般の体験者は、
 この削ったものを有料で、発掘することができる。

 パレオパラドキシアの全身骨格と復元
パレオパラドキシアの復元骨格(幼
獣)
岐阜県土岐市泉町から産出した
全身骨格。国立科学博物館に展示
パレオパラドキシアの復元骨格(頭骨
完全)
福島県伊達市梁川町から産出し
た全身骨格。福島県立博物館に展示
パレオパラドキシアの生態復元模型
徳川広和氏制作、北川博道氏監修
東松山市化石と自然の体験館に展示
パレオパラドキシアの生態復元模型
株式会社トリアド制作、北川博道氏
監修 埼玉県立自然の博物館に展示

 パレオパラドキシアとは
  パレオパラドキシアは、パレオ(palaios:昔の)、パラドキシア(paradoxus:矛盾した)という
  意味があり、頭骨や歯は水生生物、手足の骨はゾウのように頑丈な陸上動物を示すことから、
  矛盾した生物という意味で名付けられた。現在、復元模型等では、海の中を泳ぐ姿となってい
  る。陸での動きは鈍かった思われるが、水に入れば機敏で、一日の多くは水中で過ごしてい
  たと思われる。体長は1.5〜2.0m。柱を束ねたような臼歯や厚い板状の胸骨が特徴である。
  現生するゾウやジュゴン、マナティーと近い仲間と見られる。
  パレオパラドキシアを含むグループは、臼歯が、二重丸の円柱を束ねた形をしていることから
  束柱目(類)と呼ばれる。この円柱は、象牙質の芯を厚いエナメル質が取り巻くのり巻きのよう
  な状態になっている。このような臼歯を持つ動物は、他にはいない。
よって、進化・系統関係 
  を明らかにするのが困難になっている。このような臼歯を持つのは、食性が影響していて、
  海底の砂混じりの食物を磨り潰すとき、砂による歯の摩耗を保証するためと考えられている。
  パレオパラドキシアは、約2000万年前頃から、北太平洋を取り巻く地域に生息していた
  哺乳類である。四肢が体の側方に強く張り出し、腹部を擦るような低い姿勢だったと考えられ
  る。この姿勢は、通常の大型哺乳類とは大きく異なっている。こういう姿勢や歯などの特殊な
  形態は、生息環境や食べ物が限られていたことを示している。気候の変化によって、生息に適
  する環境でなくなり、特殊な進化をした歯の形態に合った食べ物が減り、パレオパラドキシア
  は、絶滅へ向かったと考えられている。約1400万~1300万年前頃に絶滅したと考えら
  れている。当時は、寒冷化が進み、冷水に適応できなかったと想像される。

   

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